広陵町が「かぐや姫のふるさと」と呼ばれる背景には、物語に登場する竹取の翁の名と、現在も町内に残る神社や地名とのつながりがあります。
『竹取物語』はどんなお話?
竹の中から見つかった小さな女の子が美しい女性へと成長し、五人の貴公子や帝から求婚されながら、最後は月の世界へ帰っていく――。かぐや姫の物語は、世代を越えて親しまれてきました。
物語の舞台となった場所は本文に明確な住所として書かれていません。そこで研究者は、登場人物の名や地名、当時の歴史を手がかりに舞台を考えてきました。その有力な説の一つとして紹介されているのが、現在の広陵町三吉周辺です。
最初の手がかりは「讃岐造」という名
『竹取物語』の冒頭で、竹取の翁は「讃岐造(さぬきのみやつこ)」と呼ばれます。「造」は古代の姓(かばね)の一つで、讃岐造は翁の出自や一族を考える重要な手がかりです。
広陵町の公式案内では、讃岐の一族が大和朝廷に仕えるため、竹が豊富だった大和国広瀬郡散吉郷へ移り住んだという考えが紹介されています。現在の広陵町三吉周辺が、その散吉郷にあたるとされています。
広陵町三吉に残る「讃岐神社」
広陵町三吉には、現在も讃岐神社が鎮座しています。『延喜式神名帳』に記された神社と考えられ、『日本三代実録』の元慶7年(883年)の記録との関係も指摘される、長い歴史を持つ神社です。
大和国、現在の奈良県内で「讃岐」の名を持つ神社が広陵町にあることは、竹取の翁とこの地域を結びつける大きな手がかりとされています。神社は巣山古墳に近く、竹に囲まれた静かな場所にあります。
讃岐神社へのアクセス
讃岐神社(奈良県北葛城郡広陵町三吉328)
Googleマップで開く →「三吉」「散吉」「讃岐」をつなぐ地名
現在の地名「三吉(みつよし)」周辺は、古くは「散吉郷」と記された地域です。広陵町の解説では、散吉・三吉には「サキ」「サンキチ」といった読みがあり、古代には散吉を「サヌキ」と読んだ記録もあると紹介されています。
讃岐造という人物名、讃岐神社、散吉郷から現在の三吉へと続く地名。これらが同じ地域に重なっていることが、広陵町と『竹取物語』を結ぶ根拠の一つです。
研究によって注目された「広瀬郡散吉郷説」
1950年代、国文学者の塚原鉄雄氏は、物語に登場する地名や讃岐造の名から、竹取の翁の住まいを大和国広瀬郡散吉郷、現在の広陵町三吉周辺とする説を示しました。
広陵町の公式解説によると、この説は岩波書店や新潮社などの『竹取物語』注釈書でも紹介されています。物語、古代の氏族、神社、地名を一つずつ照らし合わせることで、広陵町とのつながりが考察されてきました。
もう一つの手がかり「みむろ丘」
『竹取物語』には、かぐや姫の名付け親として「みむろとの いんべの あきた」が登場します。広陵町の公式解説では、この「みむろ」と、広陵町三吉周辺に伝わる「三諸岡(みもろのおか)」とのつながりも紹介されています。
讃岐神社から竹取公園の方向へ歩くと馬見丘陵が望めます。周辺の古墳や丘陵の景色を歩いてたどることで、物語と実際の土地が少しずつ重なって見えてきます。
「ふるさと」は、物語を楽しむ入口
『竹取物語』の舞台については各地に伝承や説があり、広陵町との関係も研究に基づく一つの説として理解することが大切です。一方で、竹取の翁の名、讃岐神社、古い地名が同じ地域に残ることは、広陵町ならではの魅力です。
広陵町では、1994年を「かぐや姫元年」として町の魅力発信に取り組み、現在は町のイメージキャラクター「かぐやちゃん」も活躍しています。物語は、地域の歴史や風景を知る入口として受け継がれています。